永遠のカタチ 全21話(6-8話)しまひろこ

【永遠のカタチ6/20 ~サークルメンバーと一つの時代~】

大学に入学した18歳の私は

たぶん学業よりも

「初めて好きな音楽ができるのでは・・・」
という期待にワクワクしていました。

それまで、幼少時代に「音楽が好き」
と、母に認知されてから
クラッシックピアノを習ってきましたが、

よくよく考えると「歌が好き」でした(笑)。

高校生になると、当時人気のあった
ミスチルや、スピッツのように

自分で創った歌を唄う人たちに
憧れていました。

高校は進学校の女子高。

まだ幼く、そうした音楽を一緒にできる人や
環境を探すことまではできないままに
日々を送っていました。

でも、大学に入ったら、

「音楽サークルというものが
一般的にあるみたいだから、

絶対、その音楽サークルとやらに入ろう!」

と、心に決めていました。

そして大学に入り、

サークル一覧を目にしたとき、
飛び込んできたのが

「オリジナルソング研究会」

これこそ、私が入るべきサークル!
と思いました(笑)

もちろん、他にも音楽サークルはありました。

・ロック研究会
・Light Music Society
・Jazz研究会

「うーん、

やっぱり、私はオリジナルソング研究会だなぁ」

と自分で妙に納得したものです。

そして、一人でその扉を開けていきました。

そもそも女の子の存在が珍しいサークルの中で、
(各学年、男子10人に女子2人くらいでした)

一人飛び込んできた、

何やらオリジナル曲を創ることに燃えている
18歳の私のすることを

Kさんは、いつも面白そうに眺めていました(笑)

当時の私は、基本的に、年上の人、
さらに男性と話すことも苦手だったのですが

Kさんの独特な人懐っこい雰囲気に
私もKさんとは気楽に話せる
気持ちになっていきました。

そして、

私は、同学年のメンバーで作った
オリジナルソング中心のバンドで
キーボードとして参加し、
自分が作った歌も、そこで発表していました。

まだまだ曲の歌詞もメロディーも
恐ろしく未熟で、半端なく恥ずかしいものだったけど
(笑・当時のバンドメンバー、本当にありがとう!)

Kさんは、私の作る歌をよく褒めてくれました。

「おれは好きだなぁ」という調子で(笑)。

そして、私が2年の終わりか3年生の頃に
自分がボーカルを務める、
オリジナル曲中心のバンドを作ったときに、
ベーシストとして参加してくれました。

今思えば、なぜ、
サークルナンバーワンのギタリストが、
ベースで参加だったのだろう(笑)

とも思いますが、

当時の私のバンドは、あのメンバーで
最強・ベストメンバーでした(笑)。

(今思えば、これまでの人生で、自分がボーカルの
バンドを組んでいたのは、あれが唯一無二です。

以降は、自分がボーカルを務めるのは
ソロか、ユニットのみですね。)

オリジナル曲を、バンドメンバーに提示する時、
実は、少々、恥ずかしかったり
「どう思うかな?」
と、相手の反応が気になるものです。

大抵は、メンバーは
感想を言わなかったりするのですが(笑)、

そんな時、Kさんは、
ぼそっと「おれは好きだよ」と言ってくれました。

それが、本当に嬉しかった。

今思えば、本当にありがたい存在でした。

Kさんの一言で、救われた想いがいっぱいあります。

きっとKさんの周りに集まっていたみんなも
そうだったのではないでしょうか。

10年20年離れていたとしても、

そうやって一緒に過ごしてきたKさんの病状を聞いて、

迷惑だと思う人がいるでしょうか?

少なくとも、私は

このまま知らずにいたら・・・・・・と思うと

ぞっとしました。

今知ることができて良かった

今からでもできることがある

と、心から思いました。

そう思ったら、

本人からであろうと

私からであろうと

誰からであろうと

Kさんの今を

Kさんのことを大切に想っている人に届けるべきだ

と思いました。

そう思い至ると、
私はすぐに行動していました。

(つづく)

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【永遠のカタチ7/20 ~サークルメンバーと一つの時代~】

気持ちに迷いがなくなった私は、

3/13の朝から、

すでにコンサートの件で連絡をとっていた
サークルメンバーをはじめ、

(といっても、その時までは
2-3人しかいなかった)

過去のメールに遡り、
メールアドレスがわかる限りのメンバーに

Kさんからのメールを引用しつつ
病状を伝えるメッセージを送りました。

メッセージを受け取ったメンバーが
また、連絡のできるメンバーに繋いでくれ

その日のうちに、

Kさんの2学年上の代から
2学年下の代までの、
主なメンバーに連絡をすることができました。

その際に、大きな役割を担ってくれたのが
私の代で副会長をしてくれたA君でした。

Kさんの病状をメッセージすると
A君は、すぐに私に電話をくれました。

A君はメールの内容を読んで、私以上に
Kさんの病状を深刻にとらえている様子でした。

二人で話した結論は、
まず、Kさんの現状を確認するために
Kさんに電話をかけてみようということでした。

メールのやり取りには時間がかかっていることを
A君に指摘され、

(現に、最初のメールと2通目の間には1週間も
時間がかかり、今も、また4日も返事がないこと)

私も、急に心配になってきました。

こうした点、やはり私は楽観的すぎます。

その日の夕方、
A君がKさんに電話をかけてくれました。

A君から、みんなへの情報共有メールから
==
本日の夕刻に僕から直接Kさんへ電話をしました。
20分程度の会話でしたが、少し声に張りがない
ことを除き、至って普通に話はできました。
色々と話はしましたが、特に現状については、
その都度答えるのも大変だと思いますので、
確認したことを記しておきます。
ご了承ください。

■状況
11月前後から休職に入り、ご自宅で療養中。
病院については特にルーティンではなく、
必要に応じて通院治療中である。

家の中では自力で動けているようですが、
疲れやすく長時間歩くのは厳しい。

食事については、なんとか食べれているけどね、
という表現でした。

平日は奥様はお仕事に出かけられていて、
日中は暇をもてあましているそう。

見舞いについては、どうしても
身の回りの問題があるでしょうから、
奥様の在宅時にさせていただきたい旨を
提案したところ、同意してくれました。

奥様のお休みは、週末土日2日間とのことです。

もちろんKさん自身は、週末以外でも良いと
言ってくれています。
平日お休みの方もいらっしゃるでしょうし、
各自個別に連絡を取っていただいても良いと
思います。

Kさんの連絡先は、
***-****-****

==

A君の電話連絡の判断や
Kさんについての現状の確認は的確で
本当に助かりました。

こうして、みんなへの連絡は
本当にあっという間に
1日で行うことができ、

その後、

各学年や、バンドごと、近しい友人同士で
お見舞いに行く予定を立てたメンバーからの
報告や情報共有が相次ぎました。

私もそうであったように
壁を感じていたのは
Kさんの方だったのかもしれません。

A君が電話した後、
私も、Kさんと電話で話しました。

メールから伝わってきたのと同様に
変わらない、昔のKさんの口調。

決して状況は楽観できないと思いながらも

声を聴くと、少しほっとしたのは事実でした。

(つづく)

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【永遠のカタチ 8/20 ~サークルメンバーと一つの時代~】

自分一人で抱えていたKさんのことを
サークルメンバーみんなと共有でき、

少しほっとした私は、

Kさんからの2通目のメールに書いてあった

もう一つのお願い事に取り掛かりました。

==
そういや、むかーし、さかもとさんが卒業の頃、

Hあたりがアレンジしてくれたテープ
くれたと思うんだけど、あれに入ってた確か、
”子猫になって”って曲なかったっけ?

あれ好きだったなぁ。

うちのどっかにもあるはずなんだけど、
すぐ出てくるなら聞きたいなぁ。

==

Kさんの代が大学を卒業した後、

ベースとドラムが抜けた
私のオリジナルバンドは解散。

4年生になった私は、サークルの会長も引退し、
サークル活動も、細々と続けていましたが

そうした中で、
SEQ(シーク)という、2つ下の後輩だった
Hくんと、Gくんのユニットと
コラボする時期がありました。

この二人は当時流行っていたYAMAHAの
シーケンサーを使いこなし、

オリジナル曲をアレンジしてオケを作り、

ライブでも打ち込み音源と
楽器演奏や、歌を組み合わせて行うなど、

バンド主体の当時のサークル内において、
新しい発表の形を試していました。

もともとYAMAHAっ子で、

当時、小さなYAMAHAのシーケンサーに
ちまちまと曲を打ち込んでは
オリジナル曲を楽しんでいた私は

SEQの二人と意気投合しました。

今思えば、このSEQが、
私の歌を初めてアレンジして
オケまで作ってくれた人たちでした。

私もSEQのアレンジが大好きで
このコラボも、本当に楽しいものでした。

私のオリジナル曲をSEQがアレンジしたり、
SEQの曲に、私が歌詞をつけたりもしました。

その時、SEQがアレンジしてくれた曲の一つが

『子猫になって』でした。

その後、
卒論の時期にもなり、SEQとのコラボも終息。

大学卒業前の2-3月の頃に、

私はもう一つの(ある意味本当の・笑)
自分の卒業制作として

自分でMTR(カセットテープで多重録音する装置)
を使って、たしか8曲ほどオリジナル曲を自宅録音し

友人たちに配りました。

この卒業制作にも、私は何曲か
SEQアレンジのオケを使用させてもらっていました。

Kさんが言っているのは、この私の卒業制作テープに
収録されている『子猫になって』のことだと思います。

20年間ほど、このテープは自分でも
確かに保管していたのですが、

テープを再生する機械も、手元になくなり

そろそろ、こうしたものからも卒業しようと思い
つい先日、処分してしまった後でした。。。

ただ、学生時代の、
曲作りの際に使用していたノートは取ってあり、
歌詞は残っていました。

私は歌詞を眺めながら
メロディーを思い出していました。

(つづく)

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