永遠のカタチ 全21話(12-14話)しまひろこ

【永遠のカタチ12/20 ~『子猫になって』と『永遠のカタチ』~】

『永遠のカタチ』を新しく作り上げた後、

2016年3月下旬頃の私は、

4/2の東京コンサート全体の準備と、

こちらも初チャレンジを決めていた
3/27(日)開催の
広島フラワーフェスティバル歌のコンテスト予選会
(オリジナル曲『大好き』での参加)

の準備に追われました。

こうした間にも

Kさんとのメールのやり取りがありました。

2016年3月19日
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さかもとさん

Kです。お返事遅くなりました。

荷物届いたよ。Amazonの荷物はお手紙見る前に見たので、
なぞの本が届いた!と思い、”???”となっていました。
アカウント乗っ取り?とか。
あれって、誰が注文したか分からないのよね。

お手紙みて理解しました。
のんびり読ませてもらおうと思っています。

ビデオテープはとりあえず再生してみました。うちのデッキ、初再生仕事です。
無事テープを飲み込み再生開始!
定演の方を先に見たんですが、そこには若かりしさかもとさんたちが(^^;
そんで、ちょっと見て、再生できることが分かったのでテープチェンジを
しようとしたらなんとテープが出てこない!!!orz
なんとなくテープが絡まっちゃった感じです。
デッキのふた開ければなんとかなりそうなので修理してみるね。

あとノートはよいアイデアですな。
一応予想通り?いろいろな方が来てくれそうなので、その時に書いてもらえばいいのかな。
明日はBEHINDメンバー(KT、Mちゃん、F)が来てくれる予定となってます。

さかもとさんの方は本番を控えて準備でたいへーんって感じかな。
しっかりがんばってください。

さてこちらは分解修理がんばってみるか(^^;
またね~。

==

メール文面の明るい調子に、
私もほっとしていました。

私は自分の愛読している本を
ネットで注文して
Kさんに届けていました。

別便で、

これもKさんが見たいと希望していた
昔のサークルライブのビデオテープ。

私も2本ほど持っていたので送ったのですが
・・・残念ながら古いものだったので
すぐに絡まってしまったようです。

また、みんながKさんを訪問した際に
記入してもらえるよう

「サークルノート」
(昔、サークル小屋に置いてあった、
その日に来た人が徒然に記入するノート)

も送っていました。

そして、
サークルのメンバーからの情報共有もありました。

Kさんのメールにもあったように

Kさんが同学年と結成していた
オリジナルバンドBEHINDのメンバーが

自宅にお見舞いに駆けつけてくださいました。

「Kさんはすごく痩せて、
動くのはつらそうだったが
みんなと一緒に少々ビールや牛タン(!)
を飲んだり食べたり」

も出来たそうで、

一緒に、懐かしいライブ映像を見たり

楽しい時間を過ごしたとの報告がありました。

ただ、その後は

少し体調の崩れがあったようで、

一度は予定されていた先輩や後輩たちとの
お見舞いの日程が

Kさんの希望で延期になっていきました。

そして私は、
フラワーフェスティバルの予選会を無事に終え、
(この年の5/3、決勝ステージで
大好き』を歌わせて頂きました!)

いよいよ東京コンサートに向けて
広島を出発しました。

私が埼玉の実家に着いたのは
3月28日夜でした。

翌日の29日はコンサートゲストの
子どもチア団体を訪問したり、

会場を下見して時間が過ぎました。

そして、翌日30日、
Kさんからメールが届きました。

(つづく)

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【永遠のカタチ13/20 ~再会~】

Kさんからメールが来たのは
2016年3月30日でした。

前回から10日程経っていました。

===
さかもとさん

Kです。久しぶり。

もう、関東来てるかな?
ライブの準備はどうですか?

私はというと、
体調をちょっと崩してしまい、

今週の月曜日から
国立がんセンターに入院しています。

こんな状況ですので、
いくつかお見舞いは延期
させてもらったのですが、

今の状況を作ってくれた
さかもとさんの顔は見ておきたく、
病院にちょっと来てくれませんか?

病室は今のところ
17階の3A-1というところです。

スケジュールはどうですか?
===

埼玉の実家につき、
コンサート準備も一息ついたところで

ちょうど私も、
Kさんの自宅にお見舞いにいこうかと
考えていたところでした。

入院と知り、
自分の呑気さを反省しました。

すぐに連絡をとり、

面会は、翌3/31の夕方、

奥様が会社帰りに病院に
付き添いにいらっしゃる頃が良い
ということになりました。

翌日、私は
電車を乗り継いで築地にある
がんセンターに向かいました。

「とにかく、
Kさんに会いたい、会わなきゃ」

と向かったものの、

同年代の友人で、
しかも命にかかわる病の友人を
見舞いに行くという経験は、
私には初めてでした。

「何年振りだろう、、、

なんでこんなにも長く
会ってなかったんだろう、、、

どんな顔で会ったら良いだろう、、、

何を持っていったら良いだろう、、、

何を話したら、、、」

と、今思えば、どうでも良いことを
ぐるぐると考えながら

それでも、足は、Kさんの病室に
いっぽいっぽ近づいていきました。

(つづく)

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【永遠のカタチ14/20 ~再会~】

Kさんの病室は、17Fの4人部屋で、
病室に入ってすぐ、右手の一角でした。

Kさんは、病院のベッドの上で、
上半身を起こし座っていました。

約15年ぶりに会ったKさんは

ひどく痩せていましたが

それでも顔には、昔の面影があり

すぐに、懐かしい昔のKさんのままに
私の眼には映りました。

※記憶とは、不思議なものです。
今でも、Kさんのことを思い出すときは
最後に病室で会ったKさんではなく
昔の、サークル時代のKさんの顔が
パッと浮かぶのです。

最初に、なんと会話したのかは
よく覚えていません。

「Kさん、やっときたよ~。
遅くなってごめんね。」

と、何気ない調子で私は言ったかもしれません。

そして、その後すぐに、
私は少し泣いてしまったように思います。

「なんで、さかもとさんが泣くのぉ?」

といったことを、
Kさんがボソっと、いつもの調子で
ちょっと笑いなら言った気がします。

すぐに私も、へへへと涙をぬぐい、

ふと見ると、

Kさんは、携帯にイヤホンをつけて
何か聴いているところだったようでした。

サークルのメンバーと連絡が
とれるようになった後、

私以外にも、

Kさんの希望に応じて、

昔のデモテープや
サークルのライブビデオから、

音だけを取り出して送ってくれた
メンバーが何人かいたようでした。

それらの昔の音源を聴くのが

Kさんの療養の楽しみのようでした。

私たちは病室を出て話すことにし、

車椅子で移動するKさんの背を
私は慣れない手つきで押しつつ

病棟のフロア内にある、見晴らしの良い
ラウンジのテーブルに着きました。

そこで二人で

Kさんの携帯に入っている
懐かしいライブ音源を

イヤホンで聴きました。

「さかもとさんと一緒に組んでた
バンドのもあるんだよ」

そう言って、

Kさんが再生してくれたのは

そのバンドで参加した

サークルの定期演奏会の
(・・・多分、池袋のライブハウスの時の)

ものでした。

私は最初、

昔の自分の声に
「きゃーーー」と思ったけど、

ビデオから取り出した音源を
イヤホンから聴いていると

まるでタイムスリップした
気持ちになりました。

もう20年も前だけど、

不思議と、あの狭い空間、光、

誰かのステージを眺めている時に
間近にあった何気ない机、
押し開けたドア

そういった記憶の断片と

ライブをしていた時の
ドキドキした感じが蘇りました。

昔の私の声、、、
みんなの楽器の音、、、

私の歌は決して上手くはないけど

たぶん今では出せない
若い一生懸命さ、無垢な響きに
自分で、ハっとしました。

傍らでKさんは
自分のベース演奏について

「うん、これは本当にいい感じだった」

と言っていました(笑)。

そして、曲の間のMC(おしゃべり)。

オリジナル曲を作ることへの想いを語る私。

それを一通り聞いて私は、

「・・・今と、言ってること
ほとんど変わらないね。」

と苦笑しました。

そして、あまりにも、

自分の中の変わってないものを

目の当たり(耳の当たり!?)にして、

なんだか心の底から

深い霧が晴れるような心地がしました。

Kさんや

そして他にも

いろんな人、いろんな物事と

時間的距離的に離れ、

勝手に自分で壁を作ってしまったとしても

自分の本質的なところは
変わりなく身の内に存在し

そして、そんな私を
昔も今も、変わらず
愛してくれている人達がいること

見ようとしていなかったのは
自分だった。

それは、私であり

Kさんでもあり、

だれにでも、そうしたことが
あるのではないかと思いました。

(つづく)

(はじめから読まれたい方はこちら)

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