永遠のカタチ 全21話(15-17話)しまひろこ

【永遠のカタチ15/20 ~再会~】

病棟のラウンジで、
Kさんと二人で懐かしい音源を聞いていると

小柄で、長い黒髪の、
笑顔の可愛らしい女性が近づいてきました。

Kさんの奥様、サチさんでした。

サチさんもテーブルに加わり、
そのまま3人で少し話をしました。

外はすっかり暗くなっていましたが
17階のラウンジの窓から眺める景色は

築地市場の奥に東京湾が広がり
お台場方面の夜景が
綺麗に切り取られていました。

Kさんは、私のことを

「例のさかもとさんだよ」

といったように、サチさんに紹介しました。

例の?
まぁ、今まで色々やらかしている私なので
もっともな紹介の仕方だと、ある意味納得(笑)。

サチさんも、にこにこしながら

今回の昔の仲間との再会や
お見舞いのお礼をおっしゃってくださいました。

柔らかい物腰に、優しい話し方で
Kさんより少し年上とのことでしたが、

二人のやりとは、どちらかというと
Kさんが亭主関白ぎみにサチさんに甘え(笑)、
サチさんが、笑顔でそれに従う
といった感じのやり取りで

Kさんはサチさんのことを
とても信頼している様子で
私もすぐにサチさんが好きになりました。

Kさんは仙台市出身で、
大学時代に東京に来て、そのまま就職。

サチさんは、ご両親と
仙台で暮らした時期があったそうで

友人に誘われて参加した
「宮城飲み会」というような会で出会い
交際がスタートしたとのことでした。

二人の間の、何とはない会話や、
自然なやり取りを見ているだけで

Kさんは、サチさんと出会って
とても素敵な時間を過ごしてきたんだなぁ
ということが感じられました。

私も学生時代を過ぎ、
音楽からは離れる時期があったけど、

社会人として充実した時期も過ごし
そして結婚、家庭に恵まれたように

KさんにはKさんの
充実した時が流れていたことを感じ

私も本当に嬉しく思いました。

会えてよかった。

今にして思えば、
「Kさん、貴重な時間を使って
私と会ってくれて、ありがとうね」
と言いたいです。

私は、4/2のコンサートについての状況や、

『子猫になって』を
今の自分なりに作り替えて
新しい曲にしたこと、

録画をすること、

広島に帰る前に
また会いに来ること

などを告げて、その日はお別れしました。

病院から帰宅の道のりは、行くときは違い
温かい想いが胸に溢れていました。

(つづく)

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【永遠のカタチ16/20 ~東京コンサート・当日~】

『お母さんシンガーソングライターしまひろこ
お母さんわっしょいin 東京』

と題して行われた、
私の初の東京コンサートは

2016年4月2日(土)、

北区王子駅近くの「北とぴあ」
という芸術センター内の
「ペガサスホール(173席)」で行いました。

この日までの道のりは、
今思い返しても、Kさんとの再会の他にも、
色々な出会い・再会がありました。

困難と思うことの殆どは
自分が作っていた壁でした。

それに気づき、何か手だてはないかと
前向きに行動し始めると
壁は一瞬にして消えていくものばかりでした。

当初、ためらいがちたった
東京の友人へのコンサート案内も

自分で作っていた壁を越えると
嬉しい再会が沢山待っていました。

小学・中学の地元の友人、高校時代の友人
大学時代の友人・先輩、板橋時代のママ友、
中学時代の恩師、
社会人になって、初めて仕事についたときの
先輩も来てくださいました。

せっかくの関東だからと
東京近県から、小さなお子さんを連れて
家族で来てくれた友人家族もいました。

母が声をかけてくれた、私を小さな頃から
知ってくれている地元の方々。

このコンサートの切っ掛けをくれた
板橋の亜希ちゃんのお友達、

ゲスト出演してくれた
キッズチアの家族の方々。

皆さんのおかげで、当日を
173席満席で迎えることができました。

運営面も、

なかなか現地でお願いできるあてがなかった
音響スタッフは、広島から来てくれました。

今回は、、、と、あきらめかけていた託児も
予算内で快く引き受けてくださる、
北区の子育てサロンさんとの出会いがありました。

満席で迎えてくださっている来場者の皆さまに、
さらに何か喜んでもらえるものをと願った時、
広島の企業さんとの出会いがあり
来場者全員分の協賛品プレゼントを
頂くことができました。

本当に、このコンサートに関わってくださった
全ての方に、心から感謝しています。

そうした会場で、創ったばかりの
『永遠のカタチ』を初披露しました。

ほんの数日前は

もしかしたらここに、Kさんが奥様と来て、
聴いてくれるかもしれない

と思いながら、準備していた曲ですが、

もう、それは不可能だと知りました。

2日前にKさんと会って、

Kさんの病の重さや苦しみも知りましたが、

そうした中でも変わらないものや、
愛し愛されている姿も見ることができました。

Kさんと実際に会えたことで
この歌に込めた私の想いはズレてない
と確信もできました。

自分の中にある永遠のカタチ、、、

私、やっぱり歌が好きだよ

またこうして歌っているよ。

今、歌っているよ。

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【永遠のカタチ17/20 ~別れ~】

2016年4月2日、
私の初の東京コンサートは

沢山の方の協力により
無事に開催することができました。

後で知りましたが、
東京コンサートの日の午前中、

Kさんが短いメールをくれていました。

4月2日(土)10:47
==
準備は万端ですか?
本番がんばってね
==

コンサートの後、
私がKさんのもとを訪れたのは
4/5(火)になってからで、

もうその日は、新幹線で広島に帰る日でした。

東京駅で家族に待っていてもらい
私は、築地にあるKさんのいる病院へ
一人で向かいました。

お昼頃、病院1階のロビーに入ると
サークルの1学年下のドラマーだったU君と
バッタリ会いました。

U君は学生時代の面影が良く残っていて
すぐにわかりました。

昔からどことなく鷹揚な雰囲気があり
サークルでも副会長をしていた彼だったので
今は自分の会社を立ち上げ
社長業をしていると聞き、
至極納得しました(笑)。

程なく、U君と同期のS木君もやってきて

おそらく、私がこの二人と会うのは
大学卒業以来だったと思います。

S木君は、楽器初心者が中心のサークル内で
唯一、教育学部音楽科に在籍しており、
(そこに注目したのは私だけ??)
ともかく、一目置かれていました。

正統的なピアノ伴奏技術はもとより、

キーボーディストとしての彼は、
どんな曲でも、どんな状況でも
変な時間帯(深夜など)でも(笑)、
余裕の顔と超絶ピアノで合わせてくれる
尊敬する変人でした(笑)

彼は作曲、曲のアレンジにも優れていて
卒業後は、昔からのあこがれだった
(と学生時代にも話していた)
ゲーム会社のK社に入社し、

音楽クリエイターとなったと
人の便りで聞いていましたが、

彼の実力なら、それも当然だなと、
思っていました(笑)。

卒業後は、あまりサークルのメンバーとは
連絡を取らずに過ごしてきたので
その後の彼の消息は知らなかったのですが

きっと彼だけは、プロのミュージシャンとして
その後も生きていると思っていました。

(彼は今では独立し、第一線で活躍する
音楽クリエイター&ミュージシャンです)

このU君とS木君は、Kさんの2学年下でしたが
よくKさんとつるんでいた二人だったので
ここでの再会は、Kさんが与えてくれた
プレゼントだったのかなと思います。

私もこうして後輩が、
元気にそれぞれの場で活躍していることを知り
とても嬉しく思いました。

三人でKさんの病室にお見舞いに入ると
Kさんのベッドの位置は、
窓際に移動していました。

サチさんに付き添われていたKさんは、
6日前に会った時より
少し元気がない様子で
あまり長い時間は、面会が辛い様子でした。

食事が殆どできていないと
言っていたように思います。

それでも、私たち3人が来ると
これまでの訪問者が書いてくれた
「オリソンノート」を見せてくれました。

そこには、サチさんが現像し
貼ってくれている訪問者と一緒の写真も
レイアウトされていました。

U君、S木君、私も新たに書きながら
Kさんと写真を撮ったり
近況を話したりと
短いながら、再会を楽しみました。

そうした中で、私は先日のコンサートの
ビデオ録画をKさんに見せました。

ビデオ本体の小さなモニタ画面で
病室内を気にして、音も小さく絞った状態でしたが
Kさんは『永遠のカタチ』を聴いてくれました。

(今思えば、もっと良い方法を準備しておけば
良かったと思いますし、ビデオ本体をそのまま
置いてくれば良かったと思っています。)

聞き終わった後、Kさんは、

「がんばったねぇ」

と、私の頭を撫でてくれました。

思いがけないご褒美に

キョトンとしていた私ですが、

思い出すたびに、
今でも涙が溢れます。

その後、私たち3人は
長居はかえってKさんの負担になると思い、

それぞれKさんに言葉をかけて退出しました。

私は、また夏にも来るから
Kさんも、少しずつでも食べて
元気になってね!

というようなことを言ったように思いますが

その時の私は、本当にそう思っていました。

(つづく)

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