お母さんシンガーソングライター 始まりの物語
※フィクションです。登場する人物や地名は実際のものとは関係ありません。
第9話:帰り道
ふしぎ野の森のコンサートの帰り道、まだ夕方とはいえ12月、すっかり暗くなっていた。
夫が車を運転し、私は和博と後部座席に座る。和博はコンサート中、結局お昼寝もしなかったので、車が走り出すとすぐにウトウトし始めた。夕食を食べる前に、とりあえずベッドに寝かせることになりそうだ。夜中にお腹が空いて起きないことを祈る。
コンサートのトリを務めたYujiさんのバンドは、最後まで安定したステージだった。
聴かせるオリジナルの歌、お客さんと軽妙なやり取り、、、。あれで、音楽はプロでやっているわけではないなんて。
コンサートの案内を見た時、自分も「歌いたい、ステージに立ちたい!」なんて思っていたところがあったが、なんだか今では、すごい遠い場所のように感じていた。
歌を作って歌うのは好きだけど、ステージに立つということは、お客さんがいるわけで、お客さんを歌で楽しませなくちゃいけないんだ。とてもYujiさんのようには歌えないし、ステージであんな風に動けない。
そんなことを考えている私を察したのか、全く察してないのか、夫が
「このコンサートの出演者は、一般に募集されてるのかな?もしそうだったら、来年は、ひろこもエントリーしてみたら?」と言った。
「ええぇ?無理無理無理無理~!私があんなステージになんて無理だよ!とてもYujiさんのようにはできないよ。」
「そうかな?僕はできると思うけど。それに、いきなりトリを務めるわけじゃないし、他にファミリーバンドの人や、2人でやってた人もいるんだから、ひろこがエントリーしても何も問題ないと思うよ。」
・・・。
「それに、和博ももうすぐ2歳。あと1年もしたら幼稚園だよね。そろそろ、あなたも時間ができるでしょ。結婚した後、あなたが仕事辞めるときに、自分で言ってたセリフ、覚えてる?」
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・・・。
やっぱり覚えてるか。。。もちろん、私も覚えている。
夫と結婚してすぐ、半年後に彼がアメリカに1年間の海外勤務をすることが決まった。その時は、私も都内で会社員をしていたのだが、夫の海外勤務に付いていくにあたり、幾つか選択肢があった。
務めている会社を1年間休職する、もしくは、アメリカの現地のグループ会社に出向する(たまたま夫の滞在先に通えるグループ会社があったのだ)、もしくは会社を退職する。
そうした中で、私は退職を希望した。
ダブルインカムだった家計が、シングルインカム・しかも妻は向こう一年&帰国後もしばらくは働く見込みがない、という状況になり、後から聞くと、夫は内心ショックだったそうだが、とりあえず「いいよ。」と言ってくれた。
「それで、何やりたいの?」
「うん、私、歌手になりたいんだよね。」
「カ、カシュー?」
特に、歌手になるための準備も計画もなかったし、もちろんツテもない。
新卒で就職した会社での営業職は、自分なりにやり甲斐を感じて仕事をしていた。事務職から営業に志願して異動もしたのだ。
4年ほど営業をした後、グループ会社が会社更生法適用となった。寝耳に水だった。グループ会社のサービスとセットで提案していた案件が多く、いままでの提案ではサービスが売れなくなった。
何だか、急に仕事に対して意欲を失ってしまったようだった。これからは何を一生懸命提案したり、売ったりすれば良いんだろう。
せっかく一生懸命やるなら、好きなことをやりたい、と思った。私の好きなことってなんだろう。
ちょうど、そんなことを考えていた時期だった。
そもそも大学時代、歌を作って歌う自分が好きだったのに、音楽の道に進まなかったのは、第一に全然プロを目指すレベルではなかったから(笑)だが、大学に行ったら、ちゃんと就職してお金を稼ぐ仕事に就くことが親孝行であり、親を安心させる子でいたいと思っていた。昔から優等生タイプなのだ。
それが、結婚して、夫と二人。ふと訪れた人生の空白期間。だからこそ、素直に口にできた希望だったのかもしれない。
「私、歌手になりたいんだよね」
といった私に、夫が何と答えてくれたのか、はっきりとは覚えていない(逆に、結婚した夫が、「仕事を辞めて、歌手になりたいんだよねぇ」と言ったら、私は許せる自信が、、、全くない・笑)。
とにかく、私は歌手になりたいから仕事を辞める、ということで、夫には了承された。この理由はもちろん夫婦以外には公表されることはなかったが。
そして、それから4年・・・。結局、音楽的なことは、何も進展していなかった。
海外勤務中は、現地で音楽サークル的なものは通ったが、だからといって何かキャリアに繋がる発展もなく、
日本に帰ってくると、程なく和博を妊娠。そして出産から今に至るまでの子育て中は、自分のための時間や、音楽をするなど思いもよらなかった。
そもそも、「歌がやりたい」という気持ちを、どう発展させたら良いのか分からなかった。
夫が運転しながら、
「子育てがひと段落した今やらなかったら、もう一生できないよ。子どもが成人してから、なんて思ってたら、もう本当にやる時なんて来ないよ。」
と少し強い口調で言った。
夫の言葉はかなり頭の中で響いていたが、そうは言っても、まだまだ息子は手のかかる年ごろ。日々はわたわたと過ぎていき、冬も終わり、春めいてきた頃、近所のスーパーの掲示板で「ステージ出演者募集」のポスターが目に留まった。
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