【永遠のカタチ17/20 ~別れ~】
2016年4月2日、
私の初の東京コンサートは
沢山の方の協力により
無事に開催することができました。
後で知りましたが、
東京コンサートの日の午前中、
Kさんが短いメールをくれていました。
4月2日(土)10:47
==
準備は万端ですか?
本番がんばってね
==
コンサートの後、
私がKさんのもとを訪れたのは
4/5(火)になってからで、
もうその日は、新幹線で広島に帰る日でした。
東京駅で家族に待っていてもらい
私は、築地にあるKさんのいる病院へ
一人で向かいました。
お昼頃、病院1階のロビーに入ると
サークルの1学年下のドラマーだったU君と
バッタリ会いました。
U君は学生時代の面影が良く残っていて
すぐにわかりました。
昔からどことなく鷹揚な雰囲気があり
サークルでも副会長をしていた彼だったので
今は自分の会社を立ち上げ
社長業をしていると聞き、
至極納得しました(笑)。
程なく、U君と同期のS木君もやってきて
おそらく、私がこの二人と会うのは
大学卒業以来だったと思います。
S木君は、楽器初心者が中心のサークル内で
唯一、教育学部音楽科に在籍しており、
(そこに注目したのは私だけ??)
ともかく、一目置かれていました。
正統的なピアノ伴奏技術はもとより、
キーボーディストとしての彼は、
どんな曲でも、どんな状況でも
変な時間帯(深夜など)でも(笑)、
余裕の顔と超絶ピアノで合わせてくれる
尊敬する変人でした(笑)
彼は作曲、曲のアレンジにも優れていて
卒業後は、昔からのあこがれだった
(と学生時代にも話していた)
ゲーム会社のK社に入社し、
音楽クリエイターとなったと
人の便りで聞いていましたが、
彼の実力なら、それも当然だなと、
思っていました(笑)。
卒業後は、あまりサークルのメンバーとは
連絡を取らずに過ごしてきたので
その後の彼の消息は知らなかったのですが
きっと彼だけは、プロのミュージシャンとして
その後も生きていると思っていました。
(彼は今では独立し、第一線で活躍する
音楽クリエイター&ミュージシャンです)
このU君とS木君は、Kさんの2学年下でしたが
よくKさんとつるんでいた二人だったので
ここでの再会は、Kさんが与えてくれた
プレゼントだったのかなと思います。
私もこうして後輩が、
元気にそれぞれの場で活躍していることを知り
とても嬉しく思いました。
三人でKさんの病室にお見舞いに入ると
Kさんのベッドの位置は、
窓際に移動していました。
サチさんに付き添われていたKさんは、
6日前に会った時より
少し元気がない様子で
あまり長い時間は、面会が辛い様子でした。
食事が殆どできていないと
言っていたように思います。
それでも、私たち3人が来ると
これまでの訪問者が書いてくれた
「オリソンノート」を見せてくれました。
そこには、サチさんが現像し
貼ってくれている訪問者と一緒の写真も
レイアウトされていました。
U君、S木君、私も新たに書きながら
Kさんと写真を撮ったり
近況を話したりと
短いながら、再会を楽しみました。
そうした中で、私は先日のコンサートの
ビデオ録画をKさんに見せました。
ビデオ本体の小さなモニタ画面で
病室内を気にして、音も小さく絞った状態でしたが
Kさんは『永遠のカタチ』を聴いてくれました。
(今思えば、もっと良い方法を準備しておけば
良かったと思いますし、ビデオ本体をそのまま
置いてくれば良かったと思っています。)
聞き終わった後、Kさんは、
「がんばったねぇ」
と、私の頭を撫でてくれました。
思いがけないご褒美に
キョトンとしていた私ですが、
思い出すたびに、
今でも涙が溢れます。
その後、私たち3人は
長居はかえってKさんの負担になると思い、
それぞれKさんに言葉をかけて退出しました。
私は、また夏にも来るから
Kさんも、少しずつでも食べて
元気になってね!
というようなことを言ったように思いますが
その時の私は、本当にそう思っていました。