~ひがし野ひろしま市編~
お母さんシンガーソングライター 始まりの物語
※フィクションです。登場する人物や地名は実際のものとは関係ありません。
第1話: 2007年 秋 広島
「瓦が赤い・・・。」
広島空港からタクシーに乗ると、田畑に囲まれた民家が点在する、のどかな風景が広がる。 その昔ながらの民家の屋根が、赤い瓦で覆われており、関東育ちの私にはとても新鮮だった。
「中国地方で赤瓦といえば石州瓦が有名だけれど、江戸時代に、その石州の瓦職人が移住してきて、この土地からとれる赤土で赤瓦を作り始めたらしいよ。」(注) 石州:島根県西部にある石見地方
中国地方・山口県出身で、すでに仕事で何度かこの土地を訪れたことがあった夫が、以前、タクシーの運転手から聞いたのであろう説明を加えてくれた。
私たちは東京で出会い、結婚。程なく息子も生まれ、3人家族に。私は第一子の子育てに慌ただしい日々を送っていたが、一歳半になった息子とようやく落ち着いて児童館や子育て広場に通い、ママ友達との時間を楽しめるようになったところだったのだが、この度、夫の転勤が決まり、広島県に引っ越ししてきたのだ。
そもそも、夫と結婚して「島 広子」という名前になったあたりから、広島には少なからず親近感を感じていたが、まさか、夫が転勤になり、住むことになるとは思っていなかった。
そんなことを考えているうちに、タクシーは少し市街地にでてきた。私たちが住むことになるのは、広島市の東側に隣接する「ひがし野ひろしま市」。約30年前に創設された東広島大学がある東条町と近隣町村が合併してできた新しい市だそうだ。
ひがし野ひろしま市(なんか長い、この名前・・・)の中心部に来たところで、広い通りに出た。右に行くと東条駅、左に行くと大学。
「ブールバール?って、なんていう意味だろう?」と道路標識を見て私が聞くと、
「フランス語で大通り、って意味だよ。」と夫。
「 『大通り』 という名の大通り!」と言った私の言葉は無視された。。。
タクシーは左折して、そのブールバールを大学方向に走り出した。通りの両側、そして中央の分離帯に街路樹が植えられ、ゆったりと美しいく整備されているブールバール。道は少し上り坂だった。ため池が見え、鏡丘公園と書かれた公園が左手に広がる。それを過ぎると、道は下り坂になり、「東広島大学」と光る文字の入った塔が目に飛び込んできた(これは焼却炉の煙突と後から知った)。
夫のこれからの勤務先である。そして、そのすぐ近くに立つ職員宿舎が私たち親子の新しい住まいだ。
5階建ての5階。エレベータはない。。。
1歳半の子どもを抱える主婦には、少々条件は厳しいが、若い我々には文句はいえないありがたい住まいだ。少々古くても、とにかく安くて3DKの広さと、全面南向きの窓辺が私は気にいった。
ずっと埼玉生まれ、埼玉育ちだった私にとっては、埼玉以南に住むこと自体初めてであり、自分の親せきも、知り合いも誰もいない土地。
でもあまり不安はなかった。
どんなことが始まるのかな。
小さな息子を抱えながら、未知の土地での、新たな出会いを楽しみにしている気持ちの方が強かった。